アカツメクサ
白詰草をクローバーというそうです。
花言葉を調べてみました。
善良で陽気
豊かな愛
勤勉、実直 だそうです
そうなると、花言葉ってそもそもどいうこと?と気になり調べてみました。
花言葉(はなことば、floriography、language of flowers)は、草花にあてはめられた合い言葉や符牒(符丁)の事。草花の色から受ける生理的効果や作用、草花が持つ背丈の高低・刺の有無・成長や香りなどから受ける印象・性質を言葉に置き換える事により、様々な種類の草花や花飾り・花束を通じて、直接言葉を交わさずとも互いの意志疎通や感情を伝える事の出来る手段として生まれた。花詞の文字を当てる場合もある。
英国では19世紀のヴィクトリア朝時代に流行し、定着した。当時の花言葉が持っていたそれぞれの細やかな心情は現在には正確に伝えられておらず、数多くの花言葉が持っていた特別な意味は忘れ去られてしまった。しかし、赤いバラは情熱的で甘美な愛情、桃色のバラは病気の回復、白いバラは美徳や純潔、黄色いバラは友愛や献身をそれぞれ示すというように、現代においても花言葉の意味は草花の姿が語る印象と結び付けられて残っている。
なるほど、現代の花言葉はあいまいはあいまいなんですね。
善良で陽気で豊かな愛をもち、勤勉で実直。
女性からすれば結婚するならこんな男が良いのでしょう。 なかなかいませんが。。。
人はみな大河の一滴
蒸し暑さで眠れず久しぶりに五木寛之さんの心の天気図というエッセイを読んでいました。
そこに上の題名があり、あぁ昔よく読んだなと思いもう一度読み返しました。
私的にはとても憧れる考え方です。好きな部分を書き出します。
最近、やたらと死に急ぐ人が多い。
〜中略〜
人間の命などというものは、か細く頼りないものである。
本人は太いつもりでいても、長い目で見れば、細く短い人生だった、ということになりかねない。
人はつまるところ大河の一滴である。大きな河の流れに身をまかせて、おのずと海へくだってゆくのだ。
その流れの上で、ピチピチ跳びはねたり、岩にぶつかったり、深い淵によどんだり、
流れに逆らって渦を巻いたり、いろんなことをするが、結局は一滴の水として海に還る。
死ぬということは、つまり大きな生命の海に還ってゆくことだと考えたい。
なつかしい海の懐に抱かれてしばしまどろみ、やがて太陽の熱と光をうけて蒸発する。
そして雲となり、霧となり、雨となって、ふたたび空から地上へ降りそそぐ。
なんとも月並みな子供っぽい物語だが、それが実感できたら強い。
あわてて自殺などする気がおきなくなるだろう。
あらためて、自信を持ちつつも、謙虚に生きたいと思いました。
孤独な捩花
写真について
息子を見ていると幼い頃の自分が映し出されます。記憶にはありませんがきっと同じなんだろうと。
お乳を飲んで寝て起きて泣いてうんちして。。
両親は笑顔で世話をする。
子供はしばらくは王様でいられるのです。
しかし幼稚園に入ると王様がいっぱいいてそこで、
王の中の王を決める闘いが始まり、はやければ人生1度目の
挫折を味わいます。
幼稚園時代の記憶はとにかくドッヂボールが強い奴が王様だったような。
今となっては幼い頃を振り返る手段は両親が作ってくれたアルバムだけになっています。
入園 写真や入学 写真そして家族旅行の写真。大切に保存されていたからこそ今も手元に残っています。
こういった写真が思いださせてくれるのは、その時の場面場面よりも、その時の親の愛情なのかもしれませんね。
お乳を飲んで寝て起きて泣いてうんちして。。
両親は笑顔で世話をする。
子供はしばらくは王様でいられるのです。
しかし幼稚園に入ると王様がいっぱいいてそこで、
王の中の王を決める闘いが始まり、はやければ人生1度目の
挫折を味わいます。
幼稚園時代の記憶はとにかくドッヂボールが強い奴が王様だったような。
今となっては幼い頃を振り返る手段は両親が作ってくれたアルバムだけになっています。
入園 写真や入学 写真そして家族旅行の写真。大切に保存されていたからこそ今も手元に残っています。
こういった写真が思いださせてくれるのは、その時の場面場面よりも、その時の親の愛情なのかもしれませんね。
カワセミではないぞ!
ジョウビタキ上がメス下がオスです。
昨晩父から写真が届きカワセミシリーズ一時中断です。
昨年11月頃の写真だそうです。
カワセミをイタリアとしたらジョウビタキオスはドイツ
メスはイングランド。そんな感じでしょうか?
かなり強引にも感じますが。。
いよいよワールドカップも終了ですね。
どうせならスペイン、オランダっぽい鳥でいきたかったところです。
それって、どんな鳥?
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